Kira-otosataのブログ

キラっちが話したいことをゆるーく書きます

津波てんでんこ ー 三陸に学ぶ

こんちには音沙汰キラです。

自分の名前ってなんか騒がしいですよね。

最近は物騒なことは減ってきたとは思いますが、絶対なにか事件、事故などの人災は起こる、、
いや起こす人が消えるということはないのかと思います。
まぁ人間ですし、過ちを犯してしまうことはあります。
ただ、意図的に誰かを攻撃しようとしたり、間違いをしてしまったり、権力を使って自分の手中に収めようとする人もいてしまうのです。
ただ、警察がいたり、裁判所があったりするので、日本の平和は幾分かは守られています。

しかし、警察や司法の力を持ってしてでも必ず起きてしまうものは存在します。
それが自然の摂理ですけども、この世に生きる私たちにとっては、時に恐怖をもたらす存在となるのです。

今日はそんなお話。








皆さんは自然災害と聞いて、何を思い浮かべるでしょうか。

台風がもたらす 暴風や大雨
それに伴う洪水など
土砂災害などもあります。
火山の噴火が起きたりします。

ただ、日本人が真っ先に思い浮かべる自然災害は 「地震」 なのかも知れません。

当事者の方はもう思い出したくない記憶であるでしょう。
ただ、風化はさせてはならないと思います。
後世に伝えるために、また、二度と同じ過ちを犯さないためにも、、、

この記事を読んでくださっている皆さんは、
大体の方が2011年頃の記憶はハッキリとしているかと思います。

皆さんご存知
今日は3月11日
ブログを投稿したのも2:50分頃ですね。

9年前のこの日
東北地方三陸沖を震源とする M8.4(気象庁) 最大震度7(宮城県栗原町築館) の地震
東北地方太平洋沖地震東日本大震災 が起きました。
(また、これを発端に全国各地で様々な地震が起こっています。
中には震度5以上を観測したものもあるので、是非調べていただきたいです。)
自分は当時5歳でこれからの事はあまり語ってはいけない人間だと思いますが、少しでも風化させないようにする自分なりの努力ですので、大切なものを失ってしまった人には本当に申し訳ないのですが、暖かい目で読んでいただけると嬉しいです。
胸が痛くなったり、ストレスになるかもしれませんので、お早めにページを閉じていただけると幸いです。

では話を戻しますが、
私は当時は5歳で、幼稚園の年中のさんでした。
もちろん記憶は断片的であまりハッキリとは覚えていません。
ただ、発災前後の記憶は今でも頭に残っています。

私は幼稚園の頃、毎週金曜日に幼稚園のリトミック教室に通っていました。
多分教室が終わったのは2:30頃だと思います。
僕の親がお迎えに来て、自転車に乗って走りました。
そのとき親はお迎えに行く時に友人に会い、

家に寄っていきなよ

と言われたそうです。

友人の家がある都営アパートに着き、自転車から降りた途端地面が揺れ始めましまた。

親が僕のことを庇うようにして抱きました。
電柱も揺れ、3階か4階だかあるアパートからは、身の恐怖を感じたのかは分かりませんが、ゾロゾロと住人が降りてきて事の重大さに気付かされます。

当時の報道についての記憶は全く無くどう行ったことがあったのかは現在になってから知りましたが、当時は5歳という年齢もあり、何が起きているのか全く分からず、ただ揺れに怯える人間でした。

原発事故も知らなかったので、その後1年2年の間、電力使用料の情報が流れたり、節電しましょうみたいなことがあったり、計画停電なども疑問しか残りませんでした。
もちろんそういうものだと思っていたからです。

自分は東京に住んでた人間ですので、東北、三陸に住んでる方の事は計り知れないですが、自分よりも大変な境遇だったかとは思います。

ただ、震源地より遠く離れた場所でもこの有様なので、結構な地震 出来事であったのだろうと思います。

自分のことで話すことはこれぐらいしかないので、ここで切りたいと思います。

また、これ以上話すとそろそろ怒られる気もするのでやめておきます。

ここからはあの日から9年経って今の私が思ったことについて。

まず言いたいこと

日本は行動が遅い

それだけです

今騒がれている新型ウイルスの感染症もそうですが、日本は対応が遅い または、対応に関して楽単的であったりすると思います。

あの数万人を襲った津波も、もしかしたら考えられなかったのかもしれない。

でも、もう少し早く避難させるとか、津波を想定したハザードマップを作成しておけばもう少し被害を減らすことは出来たのではないでしょうか、、、

今更言っても犠牲になられた方の命が戻ることはありません。
けれども、これからの犠牲は確実に減らすことができます。

今後災害が起きたって今までの経験から、もしかしたら、いや いつかは確実に被害を「ゼロ」にすることだってできるはずです。
是非政府の皆さんには先を見すえた危機管理対策を実施していただきたいです。

そして、今この記事を見ているあなたも例外ではありません。

もし今地震が起きたらどうしますか?
コンビニにもスーパーにも何も無い。
避難所は一畳に1人のスペースでギュウギュウ詰め
自衛隊も全く来ません。
井戸も地震で壊れました。
トイレの混雑ははかりり知れない。
安倍の後手後手の対策。

こんなことが起きてしまったら、、いやいつか必ず起こるこの災害が起きてしまったら、、
あなたは行動できますか?

もしかしたら家から出ることが出来ないかもしれません。
対策してますか?

重大な災害が起こった時は、まずは自分の命からです。
大切な人がいるかもしれませんが、自分の命が消えてしまっては元も子もありません。

ここで1つ話したいことがあります。

それは

津波てんでんこ」

です。

自分の口から色々話すことは、様々な誤解を防ぎたいので、あなたの手で調べることをして頂きたいのですが、

少し話しますと、

この言葉は、三陸地方での昔からの標語で、
「てんでん」というのは 「めいめい」「各自」という意味です。

津波が来たら、他の もの・人 にはなりふり構わずに てんでんばらばら逃げましょう

と、いうものです。

この言葉を家族・地域間で共有することで、防災意識が高まったり、もしかりに友人等が命を落とされてしまっても、津波てんでんこだからしょうがない、と自分の罪悪感を減らすことが出来るとして多く用いられています。

少しでも被害を減らすために、まずはあなたも行動しましょう。

ただ、これは津波など一分一秒が命取りになる場面での話です。

自分の安全がとれたら、その次はもちろん他の困っている人を助けてあげることも大切です。

ここで私が話すのは 阪神・淡路大震災 です。

あの地震は朝の早い時間帯に起き、朝ごはんの準備などにより、火災が多発した自身として記憶にある方も多いのではないでしょうか。
しかし、阪神・淡路大震災での死者の死亡原因は「圧死」や「窒息死」での犠牲が大半であります。 (実に神戸市内では88.3%を占める)

これは簡単に言えば、家屋の倒壊により瓦礫に埋まってしまって死んだ ということです。

ですので、このことにより、家屋等の建築基準が見直されました。

ですが、瓦礫に埋もれながらも助かった一例もあります。
なぜ助かったのか、
それは地域の協力あってこそのことです。

「共助」という言葉を聞く場面もあるのではないでしょうか

阪神・淡路大震災では、この「共助」により助かった人が多くいます。
有事の際は簡単に警察・消防が来る訳ではありません。
ですが、生存率は刻一刻と下がっていきます。
そのため、初期段階での救助がとても大切になります。
その一例がこれです。

地域のコミュニティでも、今後起こりうる災害の対策をしっかりとしておけば皆で生きていくことが出来ると思います。

こうやって、災害が起こり、被害が沢山出てしまう裏には、必ず対策・危機管理意識の低さがあります。
火のないところに煙は立ちません。
物事が起こるにはかならず原因があります。

ですから、まずは自分
そして友達
その後は広範囲(例えばSNSでの知り合い)の支援をしていくことが、被害の減少 そして復興への第一歩だと思います。
この頃は家にいることが多くなっているかと思いますので、一度、家族ともしもの事を話してみても良いかもしれません。

では最後に多くの災害で亡くなられた方のご冥福をお祈りし、今回のブログ記事はこれで終わりとさせて頂きたいと思います。

ここまで読んでいただき、ありがとうございました。